昭和59年05月23日 月次祭二代
只今の親先生のお話を頂きながら、這えば立て立てば歩めの親心を実感させて頂きました。これが本当にあのう例えばいつまでたっても、ならはいはいだけで立ったり歩いたりせんと言うのは親としてじゅつない、親もじゅつないし子供も修行でしょうが、親の方がじゅつない。ですからもう一度皆さんこれは、お互いがあのうそのう手応えを感じての信心をして頂きたい。一年一年有り難うなって来るとこう仰る。
私は確かにあのう合楽理念にもとづけば、絶対一年一年有り難うなっていく。その有り難さの質と量と言う事を以前頂いた事がありますが、その量が大きくなって来るその質が確かな質になってくると思うんです。お互いここのところだけを確認しながら信心しなければ、それこそ過去の金光教の過去の宗教の二の前になる。あすこはまだしんに何十年て信心しょんなさったげなけれども。
なら子の代孫の代信心が続かないと言う、それこそ事になりますからもう一度これは、今日うの親心を思うてみて自分が育っておるか、育っておる印に。例えばただ自分の事からなら例えば、教会の事、教会の事から世界平和の事と言う様に、その願いが段々大きくなっていく、そうしなければならんじゃないですけれども、確かに自分の信心が育ちますと、そうなって来るものだと私は思います。
一つこれは育たなければ親もしるしい子供も修行です。育ちたい何を育てるかと言うと、結局喜びを育てる事だと、喜びがなぜ育たないかと言うと。親先生の仰るように教えに如何にお互いが取り組んでいないかと言う事です。喜びがその時本当に一年一年、確かにこうやって育っておりますと言う手応えを、感じての信心をしなければばからしいと、切実に今日はまた改めて思いました。
どうぞ。